子供たち二人は、自ら出ていくことを選択しました

こんばんわ。

一人暮らしを始めてから、早いもので一か月が経ちました。

40歳のばばあ(おっと失礼、実は口が悪いんですよ)が人生で初めての一人暮らしなんて、ほんとにちゃんちゃらおかしい話しですが、突然子供たちがいなくなった静かな部屋で、初めは落ち込んでばかりいて、何をして良いのやらわからないまま時間が過ぎていきました。

私の一人暮らしの様子については、また後日に書くことにしますが、今日は息子たちが出ていった日のことを忘れないように書き留めておきたいと思います。

今後、また同じことを繰り返さないためにも。

14歳の長男が、児童相談所に通報をした5月半ばの日曜日。

私の家から実家までは、車で15分、自転車で30分くらいの場所ですが、長男は日曜日に何の前触れもなく、一人で自転車に乗って祖母の家に向かったようです。

それはとても珍しいことだったので、最初は突然の孫の訪問にとても喜んだ母ですが、しばらくすると、「今日からここに泊まりたい」と孫が言ってくる。

どうしたの?と事情を聞き始めると、なんと、「ママに自宅で虐待されているから、今から児童相談所に通報したい。一緒に電話してくれない?」と孫に頼まれた私の母。

驚いたでしょうね、それはそれは、驚いたでしょうね・・・

そのあと、詳しい話しを長男から聞いた母は、長男の話しを理解し、一緒に児童相談所に電話をかけてあげたそうです。

その電話のあと、母から私に電話がありました。

上記のようないきさつで、189(いちはやく・児童相談所につながる電話)に電話したこと。

明日には、児童相談所の人から面談の日程の連絡がくること。

この時点でまだ次男は私と一緒にいたので、次男とは2人で一緒にいても、大丈夫なのか?という次男の安全確認。

私が鍋で長男を殴ってしまった日。長男は、今までも189に何度も電話しようとしていたことがあると言っていたし、今回の件(鍋で殴る事件)で、本当に通報しようと思っている、と話していました。

なので、「ほんとに通報したんだ・・・」と、息子の通報については冷静でした。

そして、私のイライラは、次男よりも長男に対してひどいことが多かったので、次男と2人で一緒にいることには何とか耐えられると思い、この時は次男と一緒にいることを選択しました。

この時、日曜日だったので、私の頭の中では明日からの仕事のことで頭がいっぱいでした。

うちの中でイライラして子供たちに虐待まがい(まだ自分で認めたくない)のことをしても、児童相談所に通報されても、それはすごくショックなことだったけれども、私は病気をしたわけでも怪我をしたわけでもないのだから、そんなことだけで仕事を休むわけにはいかない。と考えていました。本当に。

子供が、これだけ非常警報を鳴らしまくってくれているのに、「そんなこと」で仕事を休めない、と本気で思っていました。

母に、「明日からは普通に仕事いくよ」と、話すと、突然父が電話に出ました。

「いろいろ聞いたけどさ、今の精神状態、普通じゃないんじゃないの?今週1週間だけでもいいから、会社休め、な?」

え、ええーーーー?

珍しく電話で話す父の優しい言葉に、驚きました。戸惑いました。

え、やっぱり普通じゃない?今の状況普通じゃない?でも私普通に働ける。明日も会社にいったら何食わぬ顔で、何もなかったような顔でバリバリ仕事できるよ。。。

そんな考えを見透かしたように父はこう続けました。

「あのなあ。お前が思ってるほど、会社はお前に何も期待してねーぞ。会社には、お前の代わりはいるんだからな、会社には!」

「お前が自分の命削って必死に会社のために仕事しても、会社はなーんもしてくれねーぞ。退職金は少しはもらえっけどな、ははは!」

サラリっと言った父の言葉が、ずっきーーーーん!と、ハートに響きました。驚くほど。

会社には、私の代わりになる人はいる。組織だから。歯車のひとつだから。

だけど、子供たちにとって母親の代わりはいない。私しかいない。

父がそういったように聞こえました。

その時、自分が本当は仕事人間として生きたい訳ではなく、子供たち3人と一緒に楽しく暮らしたかったんだ、という自分の本当に気持ちにやっと気づけました。

本当に、当たり前だったことのはずなのに。父の言葉で、少しだけ、気づくことができました。

そしたら、ぶわーーーっと涙が出てきて。

薄情かもしれませんが、会社のことが、一瞬どうでも良く思えました。

そして、会社のことより、孫のことより、私の精神状態を心配してくれている両親の気持ちに、感謝の気持ちがあふれてきました。

どうして、今まで相談しないで我慢してやってきてしまったんだろう。

そういう、後悔の気持ちも生まれました。

毎週毎週忙しく、社内外の打ち合わせも立て込んでいて、外回りもたくさんあり、自分の手帳を見るたびに、「本当に休んでいいのか・・・」という気持ちになってしまうので、とりあえず手帳を開かないようにしました。

そして、会社へ体調不良のため1週間お休みすることを伝えました。

その週は、児童相談所の方との面談にも行きました。

結果、児童相談所からは、私の精神状態が良くなるまで、息子(この時点では特に長男)とは離れて暮らすこと。幸い実家では預かってくれることを快く承諾してもらったので、両親に甘えることにしました。

そして、児童相談所からは、精神科への通院と、しばらく会社を休むようにも言われました。

そして、通院後には、児童相談所へその後の状況を知らせることなど何点か約束をして帰りました。

精神科では、仕事や生活面(この2年間での別居、離婚、長男の不登校)などのストレスによる適応障害で、3か月の休養を要するとの診断書をもらいました。

はっきりいって、頭の中は真っ白でした。

3か月???

冗談でしょ。来週から会社行こうとしてたのに。

とりあえず父に説得されるような形で、今週1週間休むと思っていたのに。。。

長男が児童相談所へ通報した後も、次男とは一緒に暮らしていたものの、あの鍋事件の後から私も気持ちの糸が切れたというか、長男はもう戻ってこないし、仕事は休むことにしたし、この先どうなるんだろうという不安もあって、どんどん気持ちがすさんで行きました。

4才の次男と一緒に暮らしていながら、朝に起きるのもとても辛く、食事を作る気にもなれずにいました。

保育所の親たちとも会いたくなかったので、一週間は次男と家にいようかと考えていましたが、母からちゃんと次男を保育所に連れて行って、自分ひとりの時間をもってゆっくりした方がいいと言われ、しぶしぶ保育所に連れて行きました。

今思うと、その時の私はよほどひどい状態だったんだと思います。

今まで、8時前にはビシッと決めたスーツ姿で登園していたのに、9時過ぎに化粧もしないで負のオーラ全開で次男を連れて行ったので、すぐに園長先生から声をかけられました。

「お母さん、大丈夫!?何かあったの!?」って。

その時は、ちょっと調子が悪いということで、1週間会社を休むことを伝えました。園長先生もよほど心配してくださったのか、私が確認する前に、「保育所のことは気にしなくていいよ。お母さんの体調良くなるまで、お子さんは預かるから!」と言ってくださいました。本当にありがとうございます。。。

でも、家に帰っても何をして良いかわからないんですよね。

もう、何もしたくない。

先週までのバリバリのキャリアウーマンは、どこに行ったんだろう?あたしの今までの仕事人生は、なんだったんだろう、幻だったの?いったいこれからどうなるの?長男は?次男は?

もう、全てがネガティブ。ネガティブなことしか思いつきません。

でも、精神科(土曜日だった)に行くまでは、今週のこの状態を1週間乗り切って、とにかく毎日保育所に次男を預けて、自分ひとりの時間をもって、落ち着けば、また来週から会社に戻れる。

そう思っていたので、土曜日に精神科で3か月の休養と言われた時には、頭がまた真っ白になりました。

とにかく、休めと言われたから休むしかない。

3か月は思っていたより長いけど、病院に通院するしかない、そう自分に言い聞かせました。

でも、その診断をもらった後から、不安がさらに強くなりました。このまま、次男と二人でちゃんと生活していけるんだろうか。精神科からもらった安定剤を飲んでも全く効き目がないし、やっぱり次男のことも見ていると、次男が物を落としたり、少し大きな声を出したりするだけでとてもイライラしていたし、次男もそんな私を怯えたような目で見ているのに気づいていたので、その怯える目を見ると、さらにイライラが強くなりました。

保育所への送り迎えも、できればやりたくありませんでした。

だって、こんな自分が情けなかったし、落ち込んで負のオーラを出している自分を他の親たちに知られたくなかった。先週まで普通に「お互い大変だよね!」とかいって雑談していた親たちとも、口を聞くに聞けなくなりました。今の自分の状態が、とても恥ずかしくて、情けなくて。

それでも、一日中次男と二人きりで家の中にいる自身もなかったので、なんとか保育所への送迎は行っていました。

そして、精神科にいった次の月曜日。

その日も、起きるのもやっと、次男には、グラノラを食べさせて、私は何も食べない。

化粧もせず、誰だかわからないような顔で、親とはできるだけ接触しないように送迎を行い、夕方家に帰ってきた時。

今思えば、本当に普通の状態じゃなかったんでしょう。

おっくうだったけど、なんとか、次男に食事を作らなくてはと思い、あるもので調理を始めましたが、全てがうまくいかないんです。

包丁を使えば手を滑らせて手を何か所も切ってしまい、お肉を焼き始めれば焦がしてしまい、フライパンで手を火傷し、慌てて近くのコップが落ちて割れてしまう。

本当に、うそみたいにやることなすこと失敗したんです。ここまでヒドイことは、初めてでした。だって、それも必死にやっているんですよ、私としては。

いつもだったら、難なくできる、全く難しいことでも何でもないことなのに、本当に面白いくらい失敗するので、また神経が高ぶって、イライラが沸点に達しました。

一気に興奮状態になり、自分の頬を殴り続けました。自分はダメだ、死ね!死ね!死ね!と言いながら。こんなこともできないクズ人間早く死ねよーーー!とか、思いつく限りの罵声を自分に浴びせながら、泣きながら自分を殴りました。

次男が、それを見て震えていました。怯えた目で私を見ていました。

当たり前だよね。

泣きながら、私は、このままではダメだと気づきました。

しばらくして、少し落ち着いてから、次男に質問しました。

「このお家にいるの、怖い?」と。

即座に次男はこう言いました。

「うん、こわい。僕も兄ちゃんみたいに、ジジとババの家に泊まりに行きたい!」と震える声で、泣きながら言いました。

私は、もう駄目だ。このままでは、ダメなんだ。

長男だけではない、次男とも、今の状態の私が一緒にいては、ダメなんだ。

本当に、この家で、大事な子供たち二人をどちらも潰すわけにはいかない。

私がしたいのは、そんなことではない。

子供たちには、安心して暮らせる場所が必要なんだ。そう思いました。

今までも、長男も次男も、私と何度も離れたいと思ってきたことでしょう。

でも、子供たちはそれを誰にも言わない。

私が口止めしている訳でも何でもなく、子供たちは、無意識に母親のダメな部分を他の人に黙っている傾向があるんだ、と冷静に思いました。

それは何で?

それでも、ママが好きだから。

鬼のように怖いママだけど、ママだから。大好きだから。一緒に居たいから。

今日は、優しいママなんじゃないか。今日は発狂しないんじゃないか。今日は優しいママで、子守唄を歌ってくれるんじゃないか。

そうやって、毎日淡い期待を抱きながら恐ろしいママと暮らしているんです。

だって、ママのことが無条件で大好きなんです。

次男は、1週間前に出て行って戻らなくなったお兄ちゃんのことをよく理解していて、僕までいなくなったら、だってママさみしいでしょ?だから僕、我慢してたんだよ。とも言いました。

こんなに幼い子の気持ちをここまで追いつめて、胸が張り裂けそうでした。

本当にダメな状況になっていることをようやく理解し始めた私は、次男に言いました。

「これからは、ママのことが怖かったら、誰かに助けて!って話していいんだからね。ジジババでもいいし、保育所の先生でもいいし、本当に怖かったら、お家の隣の人に助けて!って言ってもいいんだからね。今まで、こんなに我慢させていて、本当にごめんね。」

許されることではないかもしれませんが、次男には、心から謝りました。

すると次男は「じゃぁ、ババに助けてって言いたいけど、僕まだ4才だから、電話のかけかたがわからないんだ」と、冷静に言いました。

そして、私は、次男に電話のかけ方を教えました。

最近、やっと数字が読めるようになってきた次男のために、実家の電話番号を紙に書いて、壁に貼り付けてあげました。

「もし、助けを呼びたくなったら、電話をもって、左の数時から順番に押して、最後にここを押すんだよ。」と教えました。

すると次男は「じゃぁ、やってみるね。練習してみる。」といって、電話をかけ始めました。

うまくいったようで、呼び出し音が鳴り始めたのが小さく聞こえました。

「もしもし!ぼくだよ、●●だよ!ババ!今すぐここに迎えにきて!ママの中にすごい鬼がいるんだよ!僕も、ジジとババの家に泊まりに行きたいの、お願い、すぐに来て!!!!」

と、電話が通じるや否や、次男はすごい勢いで私の母にそう言いました。

私のことをたまにチラっと見る目に、「ママ、ごめんね」というような表情が見えました。

それから15分程度で、母がお迎えに来ました。

「ママ、ごめんね。ママの鬼がいなくなったら、会いに来るからね!大好きだよ、ママーー!!」

こんな時でも、こんなひどいママを気遣う4才児。

私も、私の母も、その姿にもうなんとも言えず、心が締め付けられて、本当に苦しかった。

でも、息子たちは、もっともっと、苦しい思いをしていたんです。

だから、それを今私が味わっているんだ、と思いました。

今まで私が子供たちに対してやってきたことが、回り回って私に返ってきている。

因果応報。

自業自得。

この苦しみを、ぞんぶんに味わって、反省するしかないのだと、ハッキリとそう思いました。

こうして、長男が出て行った1週間後の月曜日、次男も出て行ってしまいました。

本当の本当に一人っきりの生活。

それから、私の眠れない夜が始まりました。