私が少しだけ英語を話せる理由

こんにちわ。

今日はちょっと懐かしい思い出話しを。

先日セブに語学留学1週間をした時に、渡航前にSkypeで先生と英語で会話してみて、英語のレベルをチェックするというレッスンがありました。

少し話せるかな、という気持ちはあったのですが、思いのほか話せる自分がいました。

私は、TOIECは570点レベルなので、そんなにペラペラではないですが、なんだか不思議と日常会話とか、思っていることとか、結構口から英語が出てくる自分がいました。

なんでだろう。

私の英語勉強歴をたどってみると。。。

(中学校)

1年生の時に少し授業で習った程度で、あとはほとんど授業を受けてない。ちょっとヤンチャでしたので・・・。

中3くらいの時に、大好きな兄がアメリがに行ってしまい、中学終わったらバイトしてお金貯めて絶対にアメリカに会いにいく!と心に決めました。

(専門学校)

私の通った専門学校は、高校を中退した人、一度就職したけどもう一度勉強をやり直したい人などが集まるところで、中卒ですぐに入る人はほとんどいなく、同じクラスの人はみんな年上だった。

1才~5才上まで色々いて、ほとんどが当時のヤンキーみたいな人。

1年生で入学した時には25人くらいいたはずなんだけど、卒業したのは数人だったような。

それくらい、途中でやめていく人が多かったし、3年通って卒業すれば、高校卒業と同等レベルの資格となり、大検を受けなくても大学を受験できるというメリットがあったけど、受験する人はまずいなかったらしい。

そんなレベルの学校で学んだ英語。

中学校でほとんど習ってないから、専門学校に入学した16才のときに、ABCの書き方から覚えました。本気で。大文字、小文字、ブロック体、筆記体と、ノートにひたすら書いて覚えるっていうのを、入学当初しばらくやってた気がする。

これで、どんなレベルかはお察しいただけるでしょう!

ただ、1日5~6コマの授業があって、毎日ネイティブの先生の授業が2コマはあった。

でも、ほとんど真面目にやっている人はいなくて、先生の交代も多かった。そりゃ、やる気がない生徒たちにだらだら付き合う先生も大変だよね。今思えばだけど。

でも私は英語を覚えてお兄ちゃんに会いに行きたい気持ちが強かったので、すっごい簡単な「This is a pen」的なものも、真剣にやりました。

先生は、アメリカ、オーストラリア、イギリス、シンガポールと色々いたので、いろんななまりの英語を聞くことで、耳が鍛えられたのは確かですね。

今思えば、私は耳も良かったのかも。

3年生の時(たしか)、英語を数学のように理解する!という面白い考え方の先生に出会い、その先生を好きになる。

確か、その先生20代だったんじゃないかな。

決して見た目がカッコいい!とか、そういうんじゃないんですけど(先生ごめん)、先生は、いつでも1000%の力で、常に全力で教えてくれていた。

先生が真剣なあまり、いつもめっちゃツバが飛んできてた!(笑)

当時、その先生が大学で研究しているという、英語の文法も、数式のように説明することができる!という考え方に沿って、どんなに生徒が少なくても、生徒のほとんどが寝ていて、私しか起きていなくても、いつでも手を抜かず全力で教えてくれました。

本当に、素敵な先生で、当時仲の良い同級生も、友達もほとんどいなかった私は、先生にすぐフォーリンラブでした(笑)

毎回先生の授業が楽しみで仕方ない!

次は何をどんなふうに教えてくれるのかな!

あ、授業中目が合っちゃった!恥ずかしー!どきどき!

いやぁ、懐かしいですね。

その先生の教え方が最高にわかりやすくて、どんどんと英語の文法を吸収していきました。

そして、ちょうどその頃洋楽に目覚め始めた時期でもあったので、もともと歌うのが好きな私は、英語の曲を歌ってみたくて、暗記するまで練習しました。

そうすると、その英語の曲でも、先生から教えてもらった文法が理解できることが多くて、なるほどなぁ!と、ますます英語好きが加速していったんですね。

大学・・・心理学なので英語はほとんどやっていない

っていうか、16才でABCから学び始めた私が大学に合格しちゃったっていうのも、今考えればすっごい話しですが、その話はまた今度♪

私の学んだレベルは、こんな程度です。

渡航歴はというと、専門学校の3年生(高3の年齢かな)の時に、私の住んでいる市でやっていた、「高校生国際交流」という企画に一人で応募して、作文を書いて1次選考を通り、面接で2次選考を通り市の代表としてシンガポールとマレーシアで国際交流をしました。

普通の高校生じゃないけど、応募できますか?って自分で確認して、作文を書いたんですよね。なんて書いたのかなあ。

そのあとは、アメリカのお兄ちゃんに会いに行く!目標のとおり、18才から22才くらいまで、色んなバイトをして、お金を溜めては一人でアメリカに行く。ということをしていました。

飛行機も、お金がそんなにないのでアメリカの航空会社のチケットで行くんですが、一人でも全く問題ない感じでしたね。

今思えば、すごいといえばすごいな。

専門学校の3年間は、毎日外国の人に触れ合う機会があって、とても良い経験だったんですね。

はたから見たら、あんな学校行ってて恥ずかしい、みたいな感じだったようですが。

私的には、何も考えずに通ってました。

っていうか、行くところがそこしかなかった・・・

高校は、一応レベルの一番低いところを受験したけど、全滅だったから。

そりゃ、ほとんど授業に参加してませんから、当然ですけどね。。。

でも何と言っても、やはり3年生の時に出会った、あの面白い先生!

英語の文法は、数式のように理解することができるんだ!英語の文法と数学は同じだ!!

と、力説する先生のおかげですね。

あの先生に出会わなかったら、お兄ちゃんのところに一人で行けるようになるまでの英語力を身に着けることはできなかっただろうし、まさか、大学まで受験してみようなんて、思いもしなかった。

私が大学を受験した動機は、

1.私が大学なんて受かったら、先生めっちゃ驚くだろうな!

2.小さいころから、人の心がどうなってるのかすごく興味があって、心理学を学びたいな!

その2つだけです。

それ以外、なにも考えてなかったなぁ。

もとは、中学の基本的な学力もなくて、まわりからは無謀だ、馬鹿だ、アホだの散々言われたけど、なんというか、迷いがなかったです。

特に、先生に褒めてもらいたい!っていう気持ちが強かったかなぁ。

憧れの先生に一目置いてもらいたい、みたいな。不純な動悸ですかね?

とにかく、そんなことを思えるようになったのも、そこから必死に勉強をして大学に本当に合格したのも(そのあと中退するんですけど)、この前セブで結構英語が話せたのも、ぜーんぶその先生のおかげだなあ、って。

もちろん、専門学校に入れてくれた親のことも、感謝はしていますが。

セブに行く前のSkypeレッスンで、そんなことをしみじみ感じました。

専門学校を卒業してから、23年。

先生・・・

思いをはせながら、インターネットで先生の名前を検索してみたら、先生いっぱい本出してるじゃん!

すごい人になってるじゃん!

そして、先生のHPまでたどりついたら、昔と変わらず、今は東京の大学で、同じように英語の文法を数式のように理解する講義をやっていた!!!!

私、すごい人に教えてもらっていたんだな!ということを実感して、鳥肌が立ちました。

23年ぶりに、先生に手紙でも書いてみようかな。

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