他人の感情はどうにもできない
先日、こんな出来事がありました。
5才の次男が通う保育所では、年に一度慰労会というものがあり、園児、保護者、先生たちがお疲れ会をする、とても楽しいイベントです。
家族兄弟も参加することができるので、去年も参加した長男を今年も誘いました。
「えー、どうしようかな」なんて言いながら、年に一度の慰労会だし、行くか!ということで、私、次男、長男の3人が参加することにしていました。
もちろん、参加費用も支払い済みでした。
慰労会は夕方から。
当日、珍しくきちんと起きてきた長男は、「今日慰労会だよ?」というと「分かった、いくよもちろん」といいます。
ところが夕方出かける直前になると、友達とオンラインゲームをしていて、画面から離れる様子がありません。
「もう時間だよ!」と私が言うと「えーー、やっぱいかないわ」とのこと。
ええええーーー???
なんで直前にそうなるの!?
ついさっきまで、「もちろん行くよ」と言っていたのに。
そこから、私と長男の会話が始まりました。
もちろん、昨年までの私はこういう会話になると、感情が優先してしまって、怒りがコントロールできず、まともに話しを続けることができなかったので、今ではそんなこともなくなり、冷静に会話ができるようになって、よっぽどよくなったもんだと、変なところで関心しているのですが。
息子の意見
慰労会に誘われたときに、行きたくなかったけど、行かないと言うとママの機嫌が悪くなると思ったから「行く」というしかなかった。
ママは自分の病気が治ったと思っているようだけど、全然治っていない。皿を落としたりすると機嫌が悪くなって矛先が俺や弟に向けられて、全然関係ないのに「早くご飯食べ終わってよ!」とか怒ってくる。
長年ママの機嫌をとることを優先させてきたから、自分の本当の気持ちを伝えるのが難しい。
私の意見
私は、ここ半年ほど昔のように「イラっ」としたりすることを全く感じていない。
「早く食べ終わってよ」発言も、全くイラっとしていない状態で、別のタイミングで言っているのに、私が皿を落としたことと関連づけている。
私がイライラしていないのに、長男が私のイライラを感じ取っているということは、もはや私の問題ではない。(もしくは私が本気で自分のことを客観的にみれないおかしな状態になっているか!?)
私がイライラしているのではないかという思考を勝手に作り出しているとしか思えない。
思い起こしてみれば私自身も過去に、母に好かれたくて、自分の気持ちより母の機嫌を優先することを無意識レベルでやっていた過去があるから言っていることはとてもよくわかる。
また、私の機嫌が全く悪くなくても、「悪くなっていると感じる」息子の捉え方をすぐに変えることはできない。それは長年かけて培われたものだから。
私自身の幼少期からの経験を考えても、私の精神状態が良くなって、母とまともに会話ができるようになったのが41才なんだから…
幼い頃に作られた思考を変えるというのは、本当に一筋縄ではいかないものだなと、改めて実感しました。
その場をとりなすためにつくウソ(仕方ないわ)
トラブルやいざこざを起こしたくない。
だから、その場を丸く収めるために、自分が本当は「行かない」と思っているにも関わらず「行く」ということ。
ウソついたらダメでしょ!?
私も、少し前までは、道徳上「とにかくウソはだめ!」と、どんな理由であれウソは良くないと、教えてきました。
でも最近では、それが全てではないかなぁと思うようになっています。
今回の私の長男の例では、もう致し方なかったというしかありません。
長年の経験から「母の機嫌優先」という思考が植え付けられているので、その場をとりなすために、彼はそう言うしかなかったのだと思います。
話しは変わりますが、長男は今自分のやりたい音楽を、とことんやりたいようにやっています。そこには嘘はありません。
純粋に好きなことを追及していて、こちらから見ていても素晴らしいと思います。
全くの邪念がなく、自分の心からやりたいことに常にフォーカスしているし、自分のやりたくないことは一切やりません。
自分の心に、100%素直に行動しています。
それが、こと母親対応となると、素直さ、無邪気さが一切なくなっているんですね。
一気に邪念、雑念だらけの思考になり「こういったら怒るかな?」「これなら大丈夫かな?」
音楽に関した行動をするときには、自分の心に100%素直に行動できるのに、全ての事柄において、同じように100%素直に行動できるわけではないのだ、ということを学びました。
全てがきちんとできるなんて気持ち悪い
先日、ラジオ番組でこんな意見を聞きました。
塾の先生か何か、長年たくさんの親御さんたちと関わっている方で、どうやったら子供に学習習慣を身に着けさせることができるのか、そんなお話しでした。
そのラジオ番組でも、良い高校に行くために、良い大学に行くために、そして一流の企業へ就職して安定した生活を送るために、親としてはどうしても子供に毎日勉強して欲しい。
そんな内容でしたから、もう聞いているだけでムカムカしっぱなしでしたけど。
そもそもなんでそんなに一生懸命子供に勉強をさせたいの?毎日勉強をさせて安心しているのは子供じゃなくて親なんじゃないか?とか、もうこの話しをし始めると止まらなくなるので、本題に戻しますね(笑)
その中で、学習習慣がついている子は、他のことができないということはない。
朝起きられないのに、学習習慣がある。
部屋が片付けられないのに、学習習慣がある、そんな子はいないと。
今まで見てきた子供たちは、やっぱり学習習慣がある子は、ほかのこともほぼきちんとできる子だと。片付けもできるし、朝も起きられるし、人にも思いやりがあって、何か一つだけがきちんとできるという訳ではないと。
私は正直それをきいて「はぁ!?」と思ってしまった(笑)
え…そんな子供いたら、逆に気持ち悪いし、その子供大丈夫か!?って逆に心配になってしまう(汗)
少なくとも、うちの子はそんなことないぞ。
片付けもできない、早起きもできない、学校にも行かない。
でも、人にはとても優しいし、弟ともけんかはするけど、とても思いやりがあるし、音楽をやっている時は普段からは考えられないような真剣さを発揮するし!
そして、一番のポイントは、先にも述べたけど
- 音楽に関しては、100%自分の気持ち優先
- 母親が関係すると、自分の気持ちを優先できなくなる
そういった矛盾を抱えています。
年に1度くらいしかラジオを聞かない私が、あの時ラジオをつけて聞いた内容が、こんな学びがあるとは、必然なんですけど、面白い学びですね。
善悪の判断をしない
子供がこういった行動をとった時に、悩みに変換してしまう親の気持ちとしては、過去の私はこんな風な感情が動いていました。
- 慰労会に行くといったのにドタキャンはいけない
- 約束は破ってはいけない
- ウソをついてはいけない
- 直前に言うものではない
- お金まで払っているのだから行かなければいけない
- 年に一度の保育所の行事なのだから出ると言ったら出なければいけない
こんな感じでした。
全て、私の中の物差しで、善悪の判断をしていました。
上記のような善悪の判断は、一般的に見たら確かに当たり前のことかもしれません。
約束を破ったりすることは良いこととは言えないし、本当は行く気がなかったのに「行く」とうそをついたりすることも、褒められたことではありません。
でも、その時々の状況、これまでの経緯によって全て同じように判断できるものではないと思うのです。
- 少なくとも私の長男に関しては、今まで長年積み重ねてきた、母親の機嫌を取らなくてはいけないという強制にも近い思考がまだ根強い。
- 友達との約束を守るという基本的なことはできるけど、母親が絡むとそういった基本的な考えにも影響を及ぼすことがある。
- 前もって言わないといけないという気持ちもあったが、雰囲気が悪くなるのが目に見えていたから、嫌な空気になることをできるだけ先延ばしにした結果直前になった。
- お金については悪いと思っているけど、母の機嫌を損ねないようにするためには、自分の思考にはほかの選択肢がなかった。
こういったことを見てみると、本当にもう「仕方なかったんだね」という他ありません。
過去のように感情や善悪基準で判断していたら、息子の行動に怒り狂っていたでしょうけれど、こうやって冷静に分析してみたら、今までの私の長年の行動が、息子にこういう思考を植え付けているんだと。
おい、おまえが原因じゃないか!と。。。
改めて、本当に申し訳ないと思いました。
私はすっかりイラつかなくなって、「あーなんて幸せ!」と思っていたけれど、私がそう思ったからと言って、長男の今までの思考がすぐにどうにかなるわけではないのですね。
むしろ、私が幸せ思考になったことを、息子はかなり気持ちが悪いというか、どう接していいかわからないという不気味な気持ちで今も過ごしているそうです。
前にはキレたのに、どうしてここでキレないんだ!?
今イラついているのか?どうなんだ!?
そんな、不安定な気持ちすら持っているようです。
子供に対して悪いことをしたと思うなら
息子には、長年申し訳ないことをしたと、本当に心から思っています。
では、私はこれから一生その気持ちを背負って
- ママのせいでごめんなさい
- ママがこんな性格だから・・・
- 私が一生償っていくから・・・
そうやって、何かあるごとに謝りながらシクシク涙を流して生きていけば良いのでしょうか?
それが、反省していることになるのでしょうか?
賛否あると思いますが、私が思う本当の反省とは、自分の行いを変えることだと思います。
心から反省したら、それ以上は背負わない。
私のせいで、この子はこんな風になっちゃってね…
私があの時こうしていれば、こんなことにはならなかったのに…
そうやって負の思考をいつまでも背負っていたら、子供も、母親もその時の気持ちで一時停止したままになってしまいます。
先に進めない。
お互いに全く成長できないということです。
シクシク泣き続けて、自分で負の思考を背負っているうちは、「私が悪い」「私が悪い」そうやって自分を責めているようで、悪かった自分を変えようとしない証明ではないでしょうか。
当たり前のことですが、過去には戻れません。
その時に戻ってもう一度やり直すことはできないのです。
だとしたら、本当にやることは、これからの未来の自分の行動を変えることだけが、唯一自分にできることだと思うのです。
ですから、私は本当に反省したので、これ以上この気持ちを背負いません。
背負いませんが、私は息子に対して本当に悪いことをした思いがあるからこそ、これからは同じ過ちを絶対に繰り返さない。
そして変わった私をこれからもずっと見せ続ける。
そう心に決めています。
息子の「母の機嫌を優先する」という思考は、一朝一夕でなんとかなるものではないと認識しています。
ですが、その息子の思考を私が一緒になって
- どうしよう、どうしたら治るんだろう?
- どうやったら変わってくれるんだろう?
- 息子にそう思われないようにするためにはどういう風に行動したらよいのだろう?
そんな風に思った時点で、私の悩みになってしまい、私も息子もその思考にずっと悩ませ続けられることになります。
あなたが息子さんをそういう思考にしたんだから、あなたがなんとかしなさいよ!
そう思われるかも知れませんが、これだけは真実なのです。
他人の思考を変えることはできない。変えられるのは、自分だけである。
私は、息子を変えようという努力はしません。
冷たいとか無責任とか思われるかもしれませんが、私にはもうどうにもできないことなのです。
私が必死になって息子を変えようとすれば、変わらないことに苛立ち、ストレスが溜まり、また前の私のようになる可能性もあるかもしれません。
誰しもそんな経験があるのではないでしょうか。
- 旦那さんの態度で気に入らないことがあって、あの手この手で変えようとするけれど変わらなくてイライライする
- 職場の先輩の仕事のやり方が気に入らず、私のやり方の方が良いから一生懸命そうするように仕向けるけど、全然変わってくれなくてイライラする。
- 勉強して欲しいから子供に勉強しろと言うけど、全然しないからイライラする。
他人のことは、変えられない。
だから、自分が自分の行動や思考を変えるしかない。
こういった基本的なことをまた学んだ週末でした。