他者と比べて自分を上げ下げする日本人

比べることは良いか悪いか?

生れてから今まで、私たちはいったいどれほどの比較を経験してきたでしょうか。
それは、私たち自身が比較されることから始まり、やがては自分自身が誰かと誰かを比較する行動につながります。

比較することそのものは、いけないことではありません。
何かを判断するための材料になるわけですから。

  • 場所を比較する(A会議室はB会議室より広い、だからA会議室を使おう)
  • 物を比較する(この棒はあの棒より長い、だから長い方を使おう)
  • 時間を比較する(新幹線AAで行くとBBで行くより早く着く、だからAAを選ぼう)

ところが、これを人に置き換えると一気に話しは変わってきます。

  • AちゃんとBちゃんを比べたら、Bちゃんの方が背が高い。だからBちゃんが好き。
  • でもAちゃんの方が顔が可愛い、だから私はAちゃんが好き。
  • だけどAちゃんよりBちゃんより、Cちゃんが一番優しい。だからCちゃんが好き。
  • 私は、Aちゃんより顔が可愛くて、Bちゃんよりも背が高い。そしてCちゃんよりも性格がいいから、私が一番優位かな。

あぁ、書いているだけで具合が悪くなりそうなこの比較。
この比較は、いったいどんな基準で行われているのでしょうか。
それは、この中で出てくるAちゃん、Bちゃん、Cちゃんの誰よりも優れていると思っている「私」の経験してきた物差しで見たときの判断にすぎません。

この「私」の物差しは、今まで学んできた色々な価値観で出来上がっています。

  • 背が低いより高い方が良いという価値観。
  • 顔が可愛くない良りは可愛い方が良いという価値観。
  • 背の高さや、顔の可愛さなど見た目よりも心の優しが大切だという価値観。
  • そのどれもが優れていれば、集団の中で一番良いという価値観。

今の子供たちの世界においても、こういった価値観をもって色々なことを判断している子が多いのではないでしょうか。

あなたは、こういう価値観を、普通のこと、一般的なことだと思いますか。
それとも、違和感を感じますか?

私は正直言って、こんな価値観クソだと思っています。(失礼)
でもそういうと、クソにも失礼か!クソ(糞)も、私たちの大事な健康のバロメーターですしね。クソさんごめんねw。

比較することしか教えられていないから…

それでは、子供たちはどうしてこんな思考になっているんでしょう。

そう、それは大人の世界がそうだから。
大人の真似をしているからにほかなりません。

どういうことかって、とっても簡単です。
あなたの日々の思考をちょっと思い出してみるだけで良いのです。
あなたは、ここ数日の間に誰かと自分を比較しませんでしたか?

  • 仕事で失敗した先輩を見て、私ならあんな失敗しない。私は失敗しない行動ができるからあの先輩より優れているわ。
  • 会社に5分遅刻したけど、こないだ30分も寝坊して遅刻してきた同僚より私はまだマシだわ。
  • 子供ができないって嘆いていて可哀そうだと思うけど、私は子供を早く授かって良かったわ。
  • あの人お父さんが病気で先が長くないって。私の両親は病気にひとつもかからないで今も元気だから、本当に良かったわ。

この例に完璧に当てはまらないにしても、似通った思考が頭をよぎったことは誰でもあるはずです。

でも、はたしてこれは本当に良かったことなのでしょうか。この判断は、完璧な判断でしょうか?
私なら、上記の例を全て以下のように置き換えて考えます。

  • 私ならあんな失敗をしない、と言っているけれど、その先輩は、失敗から大きなことを学んだだろう。また、私に失敗する姿を見せてくれて、私に間接的に失敗を学ばせてくれている存在なんだと思うと、とても有難い。
  • 30分の遅刻も、5分の遅刻も遅刻は遅刻。遅刻がいけないと思うなら正せば良いし、やむを得ない事情があるなら、遅刻が何分だろうと致し方ないこともある。ケースバイケースなので、比較して優劣をつける意味は全くない。
  • 子供ができたら良いこと、子供ができないから悲しいことという価値観は、あまりにも狭い考え方。生れた子供が重篤な病気を持っていたら?とても大変な苦労が伴うことは想像に難しくないのではないでしょうか。また早く授かったからと言って、自分の経験が足りなければ子育てでとても苦労することも、容易に想像できることの一つです。そう考えれば、「子供を持つ」=「幸せ」=「私は子供ができない人よりラッキー」とはならないはずです。
  • ご両親が元気でいてくれることは、世の中の誰もが望むことでしょう。ただその一方で、寝たきりの高齢者の介護がいつまで続くのか、先が見えない不安と戦っている方が大勢いるのも事実。また病気になったことで、今までの考えを改めて健康的な生活を送られる方もいると考えれば、病気になることが一概に悪いこととは言えないと思います。病気から気づきが得られて健康に気を遣うようになる人と、全く病気もしないでいたために、日ごろの不摂生が突然降りかかって寝たきりになってしまう人。どちらが幸せと言えるでしょうか。

こうやってちょっと考えてみるだけでも、私たちの思考が、「他人と比べて優劣をつける」ということを頻繁に行っていることがわかります。
優劣をつけた結果、他者より自分が優れていることを認めることで、自己肯定をしているのではないでしょうか。

本来の自己肯定感は、他者と比較して得られるものではないはずなのですが…

本来の自己肯定感とは?動画はこちら⇒(ただいま準備中)

子供たちは、私たちのこんな思考をまねています。
大人がやっていることを、そっくりそのままやっている。ただそれだけのことなのです。

もちろん、子供たちは「親がやっているから真似しているのよ!」なんて考えていないかもしれません。
でも、生まれてからこういった思考の人たちにしか囲まれていなければ、こういう思考を学ぶ他に、選択肢がないはずです。
たまに私の息子のように、びっくりするような価値観を持った子供も現れますが、大勢多数の前ではその力は微々たるものです。

生れた時から、親、祖父、学校の先生、友達の親、周りの人みんながこのように、「人と比べて自分を優位に立たせ安心する思考」をもっていたら、自分自身もそうならざるを得ない、選択の余地がない、まるでどこかの国の洗脳のようですよね…

でも、少なからず自分の頭の中で、同じような思考がよぎったことがあるのであれば、あなたも子供たちを洗脳する主犯格です!なんて、大袈裟でしょうか。

人と比べて自分を優位に立たせる思考ができた理由は?

こういった私たちの思考が根底にあるのは、戦後の日本がそういった歴史を歩んできたからに他なりません。

戦後、日本はとても貧しい時代がありました。価値観なんて言っていられないほど大変な時代だったと思います。今の私たちには容易に想像できないような過酷な現状がたくさんあったことでしょう。


そんな中で、車や家電や家を持つことで満たされていると思う価値観、目に見える成果や物品で人間の優劣をつけるような環境。
そういうことでしか、生きていく目的を見出すことができなかったのではと推測しています。それが正しいと思われていた時代だったのではないでしょうか。


そういったことが、私たちの親や祖父母の時代では当たり前に行われてきましたし、その時代にはそういう思考でないと生きていけなかったこともまた事実です。

でも平成が終わろうとしている今、時代は大きく変わっています。


世の中には物が溢れ、莫大な富を手にしていても幸せを感じられず、自殺までしてしまう人達がたくさんいることもご存知でしょう。
いくら物に囲まれていても、お金がたくさんあっても、本当の意味の幸せを感じている人は、いかにこの世の中に少ないことか。

これからの時代には、戦後の日本が作り出してきた価値観を一掃し、目に見えるものだけで判断するのではなく、新しい価値観で生きる、新しい価値観で子供を育てる、大人がそういった考えになることが大変重要なことだと考えています。