すぐには治らないネガティブ思考

こんにちわ。

6月の半ばからヨガを初めて、夜も眠れるようになり、とんとん拍子で良くなっていくかと思っていたのですが、精神的なものってそう甘くはないですね。

またネガティブ思考の波がやってきてしまいました。

それも、今回は仕事を休み始めた5月末の時よりもかなりひどい。。。

やっと抜け出せてきて、今このブログを書いているところです。

そう、あまりの落ち込みに、パソコンも開けず、食事もとらず、なんとか水だけは飲んで、3日間泣き続けるという日々が続きました。

きっかけは、私の誕生日。

私は7月上旬が誕生日です。

毎年子供たち、兄夫婦、両親と一緒に誕生会というほどのものでもないですが、実家に集まって手巻き寿司をする、っていうのが恒例でした。

今年も、一応予定はしていたのですが、当日に実家で色々とトラブルがあり、長男が部屋から出てこなくなったため、私もイライラがひどくなり、一人自宅に帰ってきてしまいました。

次男からは、「ママ、どうしたの?また鬼きたの?ママの誕生会しようって、約束したのに、どうして帰っちゃうの?」と涙目で言われて、それにも普通に対応できなかった私は実家を飛び出してしまいました。

本当は、長男と色々と話したいこともありました。

次男とも話したかったし、触れ合いたかった。

別々に暮らしている今、毎週末に子供たちの様子を見て少しでも見られることが、楽しみの一つになっていました。

長男はもう中3ですから、そういう年でもないですが、次男はまだ4才。ママのケーキ買って来ようよ!と、はりきっていました。

それが、ちょっとしたことから一気に台無しになってしまいました。

きっかけは、長男が習い事の時間を忘れてさぼってしまったことだったのですが、それに腹を立ててヒステリーを起こしたのが、私の母。

その母の様子をみて、子供たちと一緒に3人で暮らしていた時、毎日イライラしてヒステリーを起こしていた自分にそっくりだな、と思いました。

もはや、孫2人の面倒を見ている私の母も限界なのでは?とも思いましたが、ちがうちがう、思い出した。

私の母は、そういえば、もともとこういう性格だった。

すぐにヒステリーを起こしていた。いつも大声をあげていた。

イライラがすぐに頂点に達して、興奮すると大声で子供を責め立てた。

でも、時間が経って落ち着くと、責めたこととか大声を出したことをすっかり忘れてキョトンとしている。

言ったことも、覚えていない。

そんな母親の行動が、本当に大嫌いだった。

子供としては、悪気がなくただ単に忘れてしまったことや、部屋を片付けろと言われても片付けられなかったことなど、そうやって、大声で責められて、どうしてこんなに怒鳴られるんだろう、といつも悲しい気持ちになっていたことを、思い出した。

私はいつも自分がイライラしている時には、気づかないことを母の行動を見て気づくことができた。

この日、習い事があることは、母も長男も、当日の朝に話をしていた。

毎日みんなが見ているホワイトボードにも、今日の予定として書いてあった。

母は、このホワイトボードに書いていることを忘れないように、手帳にもホワイドボードにも2重でスケジュールを管理していた。

それにも関わらず前にも長男の習い事に送っていくのを忘れたことがあり、母としては習い事はお金もかけてやっているし、絶対に忘れてはいけないタスクだった。

それでも、いつでもホワイトボードを指さし確認しているわけでもないので、朝に会話したにも関わらず、習い事の時間が過ぎて先生から連絡がくるまで、誰も気づかなかった。

先生から「時間過ぎてますけど今日来れますか?」の連絡がきたとたんに、母の怒りのスイッチが入った。

すごい勢いだった。私にそっくりでした。本当に!

先生に対しては、ものすごく低姿勢で「申し訳ありません、先生、今すぐそちらに向かいますから!30分だけでもお願いします、待っててください!」というと、別人のようになって、大声で長男に怒涛の攻撃を始めた。

先生から連絡きたよ!あんたの予定じゃないの?一体何考えてんの!

(あー、しまった、私も予定書いてたのにまた忘れてしまった、という母自身の怒りをぶつけているような感じでした)

いい加減にしろ!もうあんたの予定なんてこれ以上管理できないから!

自分が好きで始めた習い事じゃないのか、本当にやりたいと思ってんの!?

ほら早くしなさい、すぐに部屋からでてきなさい、先生には謝ったから今すぐ行きなさい!

何してるの、どうしてすぐに出てこないの、何やってるの!

というようなことを、もう狂ったように叫び続けました。

結果、長男は心を閉ざしました・・・

そりゃそうだよね。

こんな風に攻撃されればね。

母は、自分ではどうにもならないと思ったようで、「あんたの子供でしょ!もうなんとかしてよ、早くレッスン行かせてよ!」と私に言いました。

私は、そんな母の様子を見てすでにイライラしていたのですが、仕方なく長男の説得に行きました。

私は意外と落ち着いていて、「どうするの?行くのやめる?」「行かないなら、ちゃんと先生に自分から電話しなよ。」などど話しかけましたが、時すでに遅し。

息子は殻にこもってしまいました。

しばらくして私が母のところに戻ると、母は、少し申し訳なさそうに「私もイライラしてごめん。先生には、もう休むと伝えたから・・・」と言いました。

でも、そのごめんは、たぶん私にではなく長男に直接言うべきだよなぁ、なんて思いながら、なんとなく母とこのままうまく誕生会を過ごせそうな気がしなくて、息子もあんな状態になってしまうとしばらく引きずるので、なんだか辛くなって、実家を出てきてしまいました。

うちに帰ってからは、3日間閉じこもりました。

誕生日の日にもうまくやれなかった自分。

自分のイライラをコントロールできないのは、私の母も同じだったことに何十年か振りに気づいた自分。

そんな母に子供たちを預けている自分。

でもそんな母のもとにいた方が、子供たち二人が元気にやっているように見えて、情けない自分。

もう、自分がいない方が、全てうまくいっているような気がして。

消えてしまいたい気持ちがとっても強く、何もできない日が3日間続きました。

どうやったら死ねるか、そんなことをネットで調べてみたり。

でも死んだら死んだで、それも色んな人に迷惑をかけてしまって申し訳ない。

西日本では、豪雨で大変な思いをしている人がたくさんいるのに、自分はこんなことで自分を追い詰めて、本当に情けない。もう嫌。

とにかく、ありとあらゆるネガティブな感情にとらわれまくりました。

死ぬ方法をネットで探していると、死にたいと思っている人へ、自殺はいけないよ、みたいなことを教えてくれるページにもたどり着きましたが、その時の自分にはほとんどそのメッセージは入ってきませんでした。

むしろ、私の気持ちは誰にも分らないよ・・・とまた独りになろうとする。

なんだか、この世に私が存在している意味なんて何もないような、そんな悲しさ。

悲しいし、さみしいし、どうしようもなかった。

10年ほど前から学んでいる、江原啓之さんのスピリチュアリズム。

それによれば、人には、一人ぼっちに思えるときにも、いつでも守護霊たちが見守ってくれている。

その守護霊たちがすぐに救いの手を差し伸べないのは、愛ゆえに。

本当に、心の底から私たちを思う大我の愛から、私たちに学ばせるために、私たちが辛い時にもすぐに手を差し伸べず、いろいろなことを経験させてくれている。

その経験が、後々宝となると。

こんなに一人で寂しいのに、死にたいほど辛いのに、見えない誰かが見守ってくれているというの?

この、悲しい気持ちは、何を学ぶため?

人の気持ちに寄り添うために必要なこと?

悲しい、苦しい、世の全てをも恨みたくなるようなこんな気持ち、何のために学んでいるんだろう。

学んでいるのではなく、私が愚かなだけではないんですか、神様。私は、本当に生きていてもいいんですか。

そんなことを、超ネガティブ思考の中で考えながら、負のループをぐるぐる回っていました。

そんなにネガティブ思考で死にそうになっているのに、とっても不思議なんですが、何故か同時に「この闇はいつまでも続かない、きっと晴れますよ」みたいな、自分の思考ではないんですが、なんだろう、しいていえば、メッセージ?のような気持ちも同時にすこーしだけあって。本当に不思議なんですが。

死にたい、消えたい、と苦しくて泣いているのに、心のほんとーーーーに奥の方で、泣きながら「辛いでしょう、悲しいでしょう。でも、ずっとは続かないから大丈夫。乗り越えるとすごくいいことが待ってるよ」みたいな、思い?言葉とか文字ではなく、そういった何かの思いが伝わる、というか、頭に浮かぶ、というか・・・

そんな体験をしました。

もう、何を考えてもネガティブになってしまって、涙しか出てこない。

実は、20才で自殺未遂をしているのですが、その時もここまでひどくなかったので、本当に人ってここまで落ち込むんだ、という経験をしました。

それなのに、「大丈夫」という思考が頭に少しだけ浮かぶという、なんとも不思議な感覚。

でも、大きなネガティブ思考に支配され、自分ではどうにもあらがえなかったので、落ちて落ちて落ちるところまで落ちよう、と観念しました。

でも、スピリチュアリズムでは、(他の宗教などでもそのようないわれがありますが)自死すると、今よりひどい地獄のような世界に落ちて、今よりも苦しむことになる、ということを覚えていたので、過去の経験もあり、なんとか自死せずに3日を落ちっぱなしの状態で過ごしました。

どうやって、その状況から抜け出したのかはわかりません。

ただ、落ち込んでいる時って、誰かに相談しようと思っても、私みたいなネガティブな人間から相談されたらその人が迷惑がるだろうとか、人に時間を割いてもらって相談に乗ってもらう資格なんかない、とか思ってしまっていたのですが、自然と、少しずつ、やっぱり人が生きていくには人の力を借りないと、生きていけないのではないか、ということに気づき始めました。

そしたら、人の力を借りるにはどうしたらよいのか。

助けて、と言いにくい性格になってしまった私が何をすればいいのか。

死にたいほどの強い気持ちがあれば、それを死ぬことではなくて、違うことに向けてみよう。

どうせ死ぬなら、死ぬ前にダメもとで誰かに助けを求めてみよう。

そんな、今までと全く逆の発想がふっと沸いてきたとき、また、朝に起きて、シャワーを浴びて、食事をとって、お外に出かけられる、店員さんと普通に話ができる自分が戻ってきました。

なんていうか、自殺を考えている人に私ができるアドバイスなんて何もないです。

だって、自分でもどうやって普通の状態に戻ってきたのかわかっていないんです。

それこそ、目に見えない何かに助けられたのかもしれませんし、脳が落ち込むのに飽きたのかもしれません。

ここ3日間とは全く違う自分がいて、またいつあのひどい状態に落ちるかわからない。

けど、落ちても必ず戻ってこれる。生きていれば。

そんなことを体感した数日間でした。

今日は、久しぶりにヨガにも行きました。

ヨガに行く車の中で、こんなことを思いつきました。

死ぬほどさみしくて、話し相手や、触れ合える人が欲しかった。

それなら、死ぬ前に「だれか一緒にご飯を食べてください」なんてプラカードでも持って、友達探しをしてみるほうが、自殺する苦しみより苦しくないよなぁ、なんて。

自殺をするには、痛みや苦しみが伴います。恐怖もあります。

街でプラカードを持って友達探しをすることの方が、自殺の痛みや苦しみ恐怖より、きっと少ないだろうし、死ぬ気があるならそれくらいやってみてから死んでもいいな、なんて思いました。

おかしな発想ですね。

今度落ち込んだ時には、やってみようかな。

死んだら、試すこともできないもんね。

でも、落ちてるときは、ほんとにしんどくて、こんな思考じゃないんだってば。と、自分で自分に説明したり。

私を闇から救ってくれたのは、誰なんだろう。

スピリチュアリズムでは、みんなの心に神がいると言われています。

ひとりひとり、実は自分自身が神であると。そのことに気づいていないだけで、みんなの心に神が宿っているんだそうです。

私の頭に浮かんできた、「大丈夫」という思いも、私の中の神だったのでしょうか。それとも幻聴?

いずれにしても、私は、私自身で闇から抜けることができた。

闇を自分で作って、そして自分で抜けた。

そんな経験でした。