体が軽くなりました

こんばんわ。

7月7日からの3日間、深い深い闇の世界を経験して自分でなんとか這い上がってきた後、次の日から体も心も軽くなってきました。

なんでしょうか。

まるで新しい世界に来たみたいで、自分の体も軽いし、心も軽いし、車を運転していてもイライラしないし、見るもの全てが綺麗で愛にあふれていて嬉しい、楽しい。そんな感じです。

いや、そんなのあるわけないと思われるかもしれません。

私だって、ついこの前までは、そんなことを言っている人がいても、「いやそんなこと言っても、イライラするときはするし」と思っていました。

でも、びっくりました。

こんなに幸せな世界ってあるんですね。

なんていうのかな。

私の細胞全てが、愛で構成されていたことに気づいた!!っていうか、思い出した!!!

っていう感動です。

なんか、こんなこと言っていると頭がおかしくなったのかと思われそう。

もしくは、変な宗教???みたいな(笑)

いや、でも本当に違うんですよ。

私、あの数日間の闇の間、どこをどうさまよったのかわからないくらい暗い世界を彷徨い続けて、本当に苦しくて闇しかなくて恐ろしい世界だったんですが、3日経ってどん底から少しずつ上がってきた時に、頭ではなくて体で、細胞レベルで、というのが一番しっくりくるんですけども、細胞レベルで自分が愛の存在そのものだったことに気づいたんです。

気付いたというか、思い出したというか。本当に、脳で理解する感じではなく、なんか筋肉やら骨やら皮膚やら内臓やら、自分を構成するもののすべて、つまり細胞全てで理解した!っていうような感覚だったんですよ。

そしたら、昨日までの暗くて苦しい世界が、まるで変って見えて、明るく楽しい世界になっていたんです。

いままで、境界性パーソナリティ障害だの、アルコール依存症だの、ACだの言われて母親ともうまく会話できなかった私が、少しずつ変わってきていることを実感しました。

実際に、この体験をした後に週末実家で母と会話をしたのですが、今まで感じていたイライラが、ほんっとーーーーーになくなりました。

今までは、私が言った言葉に母が嫌な反応をした(ような気がすると思う)だけで、腹の底からイライラして殺意を抱いたりするようなことがしょっちゅうありました。

4歳の次男のキーキー声や、やりたい放題の我儘に翻弄され、疲れ果てイライラしていたのが、別になんとも思わなくなりました。

次男は、そんな私をみて、「どうしてママ怒らないの???」と、すごく不思議がっていました。そして、逆に少し怯えていました(笑)。

いや、かわいそうですね。

よっぽどイライラしているママが普通だったからでしょう。コップの水をこぼしても何の反応もない私をみて、むしろ「大丈夫だよ、水くらいこぼしても。拭けばいいんだから。」という私を見て、驚く両親と息子たち。

私も、あの落ち込みから抜け出したあとから、色んなことを全く違う考えで受け止められるようになっていて、驚きの連続です。

嘘のような本当の話です。

今までなんどカウンセリングを受けても、誰かに相談しても、自助グループに参加しても、拭えなかった心の闇。

自分を嫌いな気持ち。

自分だけがダメ、自分はなくなればよい存在。強い孤独。

そんな気持ちがスーッとなくなりました。

あ、私って、愛されていたんだ。

私って、ただ存在しているだけでもいいんだ。

私は、このままで何も心配しなくていいんだ。

私と他の人たちは、みんな同じなんだ。

孤独ではなく、常に誰かが支えていてくれるんだ。

人間は、一人では生きてはいけないから、誰かと協力し合って助け合ってもいいんだ。

そんなことまでもが、細胞レベルで理解することができていました。

今までの思考は、

1.母に話しかける

2.母があいづちを打つ

3.そのあいづちが、なんとなくそっけなかったような気がして、イライラしてしまう

4.そんな時子供から話しかけられると全ての矛先が子供に向かう

5.今はなしてる途中なのに、どうして邪魔するの!?とキレる

6.キレてしまった自分にイライラして、自分を責める

7.結果、死にたくなる

今だから気づいたことですが、もっと厳密に言うと、1の母に話しかけるの時には、「今話しかけても大丈夫かなぁ、母の機嫌はどうかなぁ。機嫌を損ねたくないなぁ」と母の機嫌を必ず確認する癖があったことに気づきました。

そして、そう思っていたことにより、母の相づちが、良いものではなかったように、被害妄想的に捉えてしまっていました。

それに対して、「やっぱり、今話しかけてはいけなかったんだ。失敗した。タイミングを誤ってしまった、どうしよう、私は馬鹿だ」という思考プロセスが始まり、失敗した自分にイライラし始めます。

そのあと、イライラしたり、キレたりする自分に我慢ができなくなるのですが、全ては、「母にとって、私は良い子でいられなかった!」という失敗だと、勝手に捉えてしまっています。

母からしたら、別に何の気なしに、「あ、そう。」とか「ふーん」とかあいづちを打っただけのことなのに、すべて自分の被害妄想的な思考から最終的にキレて死にたくなるというところまで行ってしまっていた、という思考プロセスに気づきました。

今は、何を話しかけるにしても、以下のような思考が働いていることにも気づきました。

1.相手の機嫌の良し悪しは重要ではない

2.その話で何を確認したいのかを明確にして、そこに集中する(明日の予定を聞きたいとか、今日何を食べるとか)

3.もし万が一相手の機嫌が悪くても、「私が機嫌を悪くしたわけではない」と思えている

4.相手から「うるさい!」とか言われても、「そうなんだ、うるさいんだ」としか思わない。つまり、単純に、うるさいと言われたらうるさいだけなのであって、そこに、私がこうしたからあぁしたから、とかいう余計な情報が必要なかった。

とか、そういう思考であることに気づいたんですが、きっと、普通のイライラしない人は、何も気にせずにこういうことをしながら人と会話をしているんだと思うんです。

でも、私は今まで誰と話す時でも、常に人の機嫌を(特に母)気にして、大丈夫だったかな、相手にとって嫌なことを話さなかったかな、私のこと嫌いになっていないかな。とそんなことばかり気にしていました。

話すことの目的が主ではなく、その会話で私が嫌われなかったかどうかを常に気にしていました。

でも、今は、私が嫌われるわけがない、とすら思っている自分がいるので、そういった今までの不安がなくなってしまいました。

どうしよう。

誰とでも会話ができる。

できるようになっちゃった。

でも一日しか持たないかもしれない。

いつまたイライラし始めるかわからない、と思いながら早2週間。

その間、一日中次男とミニカーで遊び続けて疲れた時に、少しイラっとなりかけたことがあったのですが、その時は深呼吸をして、「あ、私は愛の存在なんだ」と心の中で思ったら、自然と「ママ疲れたからもう遊びたくなーい」と、素直な気持ちを言うことができました。

今までだと、疲れてきても、息子の期待に応えないといけないと思うあまり、イライラしながら無理して遊び続けて、最終的にキレて子供にあたるという最悪なパターンでした。

「ミニカー遊びあきちゃったー、疲れたーーー」とか、素直に表現することで、息子は少しがっかりして肩を落としたのですが、そのあとに言葉をつづけることができました。

「じゃぁ、少し休憩してからまた遊ぼう?」と。

それで納得して「いいよ!じゃぁ、少しだけ休憩ね!」といっても、本当に数秒しか休憩させてくれなかったんですけど、そのあとも、「あー、うんちがしたい」とか、「コーヒーのみたい!」とか、自分の生理的欲求を小出しにしながらうまくやり過ごすことができました。

これは、ものすごい進歩です。

長男を育てている時にも、次男を育てている時にも、いつでも私の心の奥底からイライラする気持ちを取り除くことはできませんでした。

また、自分の母親と会話するときにも、母を殺したくなるほどの怒りが常に心の奥底からこみあげてきて、その怒りは今まで一度もなくなったことはありませんでした。

それから、誰か他人と会話している時にも、自分が楽しそうに振舞っている時でさえ、自分がとても孤独で寂しいという気持ちを拭うことはできませんでした。

あの闇の3日間。

あれは本当にこの世だったのか、と今では思うほど恐ろしい闇の世界を体験しましたが、あの後体の奥底から、自分が愛されている存在であることに気づき、そして自分が愛そのものであることに気づきました。

そうすると、他人との関わりにおいて感じる怒りや、焦りや、孤独、悲しみなど、これらのネガティブな思考が、ほとんどなくなっていることに気づきました。

この体験をした翌週に、精神科での診察があり、主治医の先生に話しをしたところ、私のような心の病気が快方へ向かう過程で、その闇を経験することは、苦しいけど必ず必要なことなんだ、と言われました。

先生はまた、私の経験した闇の世界のことを、嫌なところも全てを含めて、とことん自分と向き合う作業だと言い、それはものすごい苦痛を伴う、ともおっしゃってました。すごく、辛かったでしょう、よくやったね!とも言われました。

まさにそのとおりで、たしかに、私は自分と向き合ったんだと思います。

抵抗せず、最悪な自分の感情と、とことん向き合って、本当に死んだ方が良いのではないかという気持ちと、真剣に、本当に苦しかったけれど真剣に3日間も向き合いました。

今までは、辛いことや嫌なこと、なんだかモヤモヤする気持ちなどを、昔だったらお酒やギャンブル、買い物などで紛らわしたような、すっきりしたような気分になっていましたが、今回は、適当にごまかさずに、本当に心底向き合ったんですね。

何故いままでそれができなかったのか、今回は自然に向き合うことができたのか、それは自分でもわかりません。

今までとは違い、子供とも仕事とも離れて、自分と向き合うしかなかった、ということもあるでしょうし、先生からは、最近通っていたヨガで、内面を見つめる作業が少しづつできるようになってきていたんだと思うよ、とも言われました。

たしかに、平日に通っているヨガでは、ありのままの自分を認めましょうとか、自然に抗わず、本当の自分の気持ちに素直になりましょうとか、そんな言葉を聞いてはいましたが、ここまで自分の気持ちが、思考のクセが一気に変化するとは思っていなかったので、本当に自分でも驚いています。

一瞬、この良い状態は続かないのではないか、という不安もよぎりますが、そんな時はすかさず「大丈夫、全てがうまくいく。何故なら私は愛そのものだから。愛を発し続けよう」みたいな思考が湧き上がってくるんです。

ちょっとこれ、また宗教っぽいとか思う?

でも、本当なんですよ。

今までは、自分の心の中かから「おまえなんて死ね、くそ野郎」みたいな声が聞こえてきていたのに、急にガラッと変わって「大丈夫、愛の存在だから」って!!

ちょっと笑えて来るような・・・

でも、そんな摩訶不思議な経験をして思いました。

良い思考も、悪い思考も、作り出しているのは全て自分だということ。

相手との良い関係も、悪い関係も、作り出しているのは全て自分だということ。

イライラするのも、喜ぶのも、全て自分で選んでやっているということ。

それなら、良い方を選んだ方が楽です。

体も軽くなるし、心も軽くなるし、実際本当に歩くのも体が軽い感じです。背筋が勝手にピンっと伸びちゃった感じです。

暗い顔をして、猫背になっているより、ハッピーですね。

けど、暗い顔をしている人は、その人はその時のその人の段階に応じた学びなんだろうなとも思うので、無理やりに「自分の思考が全部作っているんだから、前向きに考えなよ!」みたいに言うつもりも全くないんですよね。

それぞれが気づく方法が、いろいろあると思うし、私みたいに40年も時間をかけてやっと気づく人もいれば、すでに幼いころから気付いている人もいるでしょうし、気づかないまま死を迎える人もいるでしょうし。

思ったより早く、笑顔になれました。

もーっともっと先のことかと思ってました。

何なら、自分なんか、楽しそうにやっていても、絶対この暗い気持ちは拭えないまま死ぬんだと思っていました。

Be a smile.

なれたじゃん、私笑顔になれたじゃん。

それも、今までの作り笑顔とは全く違う、心からの自然の笑顔。

今の私は、全てのことを愛しています。

愛の表現をしたくてうずうずしています。

子供たちと離れたことも、仕事を休んだことも、今となってはこのことに気づくためにあったのだと確信しています。

仕事に関しては、なんとなくもう組織にもどることはないような気がしています。

他にもいろいろやってみたいことが出てきました。

何をして生活をしていくか、どんなことで私の愛を表すか、わくわくする日々が始まっています!