思考について

こんにちわ。

今年7月の誕生日に落ち込んでから、3日間、ほんっとーにひどい落ち込み状態でした。

それは今まで経験した落ち込みとは全く度合いも質も違う、本当になんとも表現しがたい闇のような世界を3日間体験しました。

気付いたら3日経っていたという感じで、もちろん家から出ようなんて思いもつきませんでしたし、とにかく自分がダメな人間で、死んだ方が良いのでどうやったら死ねるのかと本気で考えどん底に居続けた3日間でした。

昼も夜も訳がわからなくなりました。

落ち込み始めてからは、自分が生きていない方が良い価値のない人間だと強く思っているため、死んだ方が良いと思っているのにどうして呼吸をしてしまうんだろう。

死んだ方がいいはずなのに、どうしてお腹が空いたり喉が渇いたりするんだろう。

食べ物を口に入れることすら、野菜など生物の命に対して申し訳ない気持ちになり、私なんて他の生命をいただく資格がないとすら思い悲しくなり、水を飲むことも、水という大地の恵みに対して、私が口にする資格なんてない、恥ずかしい、みたいなどうしようもない気持ちになって、水を飲めば悲しくて号泣、野菜を口に含めば号泣、みたいな、今考えると本当にアホみたいなことをしていました。

そして、しょっちゅう号泣するので体力を結構消耗するから、眠たくなり時間にかまわず眠ってしまう。

気付くと夜中だったりして、そんなことをしている自分がまた恥ずかしくなり、何をやっているんだろう、昼夜逆転している自分なんて生きている価値がないと思いまた号泣、疲れてまた寝る。

そんなことの繰り返しでした。

今思うと、どうやってあんな状態に居続けられたのか、本当に不思議です。

一番ひどかったのは2日目、インターネットで自殺の方法を検索していろいろとみていると、こうやれば死ねるんだということが現実的になり、それでまた号泣。

けど、死んだ後に救急の方や親族にすごい迷惑をかけるだろうと思うと、申し訳ない気持ちの方が大きくて、実行するにできない。

死ぬ資格すらないのか!?とか訳の分からないことを思う。

死ぬのではなくて、消えられたら良いのに。死ぬと死体を片付けたり色々な人に迷惑がかかるけど、パッと消えたらそういう物質的な迷惑はかからないのかな、とか超自分勝手なことを妄想する。

今日死んだら、このまま子供たちと別居状態のまま死んだら、「いずれ精神的に安定したら、また3人で暮らしたい」と言っていたことが実行できなくなる。

私は何もできなかった、何にもできないダメな人間、死んだ方がいい、、とまた号泣する。

ほんとうに、こんな思考の繰り返しです。

今思うと、地獄ってこういう世界かな、と思います。

苦しみと、深い闇しかなかったです。

そこまで本当に深い闇を初めて経験して、3日目を過ぎてから少しずつ、勝手にネガティブな感情が消えてきました。

本当に不思議です。

自分は、生きている価値がないと思っていたのに、4日目には、だんだんすっきりしてきて、私は生きていてもいいんだ!っていう確信を持てていたんです。

そして、ショッピングモールへ行って、新しい服を買っている自分がいました。

5月に休み始めてから気付いたのですが、今まで仕事で着る服がスーツでお金がかかるため、土日の普段着はジーパンとTシャツでした。

ほんとうにそれしかなかったんです。

クローゼットの中は、かっちりとしたスーツがびっしり。

毎日そのスーツに身を包み、完璧なキャリアウーマンを演じていました。私ってすごい、とすら思っていました。

ところが、休みに入るとそんなスーツなんて必要ありません。

毎日私服で過ごすのに、ジーパン2本とスポーティなTシャツしかない。

少し気分が落ち着いてヨガに通えるようになった6月半ば、もう少し女性らしい恰好をしたいと思い、通販で私服を何セットか購入してみましたが、なんだか全てがチグハグな感じで全くピンと来なくて、全部返却してしまいました。

やはり、実物を見て試着して選ばないとだめだなと思い、ショッピングモールへ出かけたものの、どれを見てもピンとこない。

思い切って試着してみたものの、やっぱりなんだか似合わない。

もちろん、店員さんはお似合いですよ、と言ってくれるものの、私が全くしっくりこない。「店員って、本当いいかげん。私の気持ちなんて本当にわかってない、うざい」とか思いながら、どんなタイプのものも、とにかくピンとこない。

半日モールを回って、収穫ゼロ。

疲れ果てて、こう思っていました。

今の私には、新しい服なんて買う資格ないんだ。。。こんな自分だから何を着ても似合わないんだ。(ネガティブー!)

ところが、7月に闇を経験した後には、知らないお店だったのですが、勝手にそのお店に入って行って、店員さんと仲良くなり、気に入った服を選んでいる自分がいました。

①そのお店に入った瞬間の思考 = このお店で、気に入ったものを購入している!(確信)

②店員さんを見て話しかけるときの思考 = 店員さんも服も、全てが私を愛してくれている。話しかけることに何の恐怖もネガティブな思考もない。(確信)

③店員さんが薦めてくれたものが気に入らなかった時 = 今の私は、これをそんなに好きではない、ということをシンプルに伝えられる。(確信)

④気に入ったものが見つかって購入できた時 = 全てに対して、感謝の気持ちが溢れている。

①については、どうしてそんな確信を持てたのかはわかりません。

外からみたお店の雰囲気がそうだったのかもしれませんし、特別なお店ではなかったんですけど、なんでかなぁ?

②については、私のこれまでの思考には、「店員さんに話しかける」ということが第一目的のはずなのに、店員さんが忙しくて嫌な対応をされたらどうしようとか、性格が合わない店員さんだったらどうしようとか、話しかける目的以外のことを一生懸命考えていた自分に気づきました。そうすると、本来の目的の「店員さんに話しかける」ということが達成できなくなっています。達成できたとしても、店員さんの表情や動作に一喜一憂してしまい、私の気持ちがざわざわとざわつき、感情が揺さぶられてしまいます。それもストレスですね。

③についても同様です。せっかく薦めてくれたのに、気に入らなかったと自分の本当の気持ちを伝えることが申し訳なく思う。自分の気持ちより相手の気持ちを優先してしまう。でも、今だから思うのですが、店員さんとのやりとりに関わらずですけども、「薦めてくれたものを気に入らないといったら、この人は嫌な気持ちになるだろう」という私の思いは、私が思っている勝手な思い込みですね。店員さんからしたら、気に入らないことをきちんと伝えてもらえないと、本当の私の好みが分からないわけですし、この時点で、相手の気持ちを、勝手に自分の頭の中で作り出していたのだということにも気づきました。

④については、ほんとうにただ感謝しました。無条件です。

感謝についても、「感謝」という言葉では理解していましたが、今まで本当の意味での感謝ということを体感していなかったことに気づきました。

何でも、感謝しますと言いながら、そうあって当たり前と思っている自分がいました。

例えば、ヨガの先生に食事に誘われた時のこと。

とてもポジティブな考え方を色々と教えてくれて、こんな私でも親身になってくれて、本当にありがたいな、と思いました。

でも、心の奥底で、「私が生徒でお金を払っているからでしょ」「私の本当の闇は知らないくせに」「ありがとう、でもそんなに簡単には私は変わらないよ」みたいな、本当に嫌な奴ですが、悪魔みたいな囁きが常に心の中にあったんですよ。恐ろしい!

でも、今はそんな悪魔はどこにもいません。

感謝って、本当に無条件です。本当に有難いんです。

でも、こんな感じで心の中に悪魔さんを抱えている人って、たくさんいるのではないかしら。

その悪魔が大きくなってしまうと、子供を虐待したり、人を殺してしまったりする誤作動をおこすのではないでしょうか。

この悪魔はどうやって消えたんでしょうか。

闇を体験したから。

でも、どうして闇を体験したから悪魔が消えたの?深い闇を経験したなら、もっと最強悪魔になって戻ってくるんじゃない?とも思いました。

たぶん、かなり際どいところだったと思います。

あの闇の3日間の間に何か私を触発するような出来事があれば、本当に悪いことを起こしていたかもしれないと思うのです。

だって、あの時に、普通に外出している人たちが羨ましく、子供たちと手をつないで楽しそうに歩いている親子が羨ましく、どうして自分だけがこんな思いをしなければいけないのかという独りよがりな考えに陥り、みんないなくなってしまえばいいのに、とも何度か思ったんです。

それって、無差別に人を傷つけたりする人たちの思考と同じですよね。

恐ろしいことですが、そういう人の気持ちも痛いほどわかりました。

その根底には、自分が愛されていない。愛されていないという表現ではないとしても、誰にも分ってもらえないという非常に強い孤独感。世界で私一人だけがこの闇の世界にいるような強い孤独感がありました。

孤独を感じるということは、わかってもらいたい。理解してもらいたいということですよね。誰にわかってほしいんでしょうか。母なんでしょうか、父なんでしょうか、子供でしょうか。

誰に対してかわからないけれど、世の中、この地球全ての対象物に対して、

私を理解して!=私を愛して!

と、身体中で叫んでいたような感覚です。今になって思えば、です。

その時は闇しか感じていませんけど、今思えば、私はとても寂しくて、理解してほしかった、愛してほしかったんだなぁ、と思います。

愛してほしかった人は、やはり最初は母なんでしょうけど、そのうち母から、とかではなく誰かに、となっていったような。

そして今は、「私は愛してほしかったんだね」と、自分で理解しているんです。

自分が、自分自身の求めていたことに、はっきりと気づくことができて、それを認めることができました。

まるで、第三者から認めてもらえたかのように、私が、私を認めることができています。

それが、回復への大きな一歩だよ、と精神科の先生からは言われました。

今ネガティブ思考になっている人々が、この思考に気づくことができれば、もっとより良い世界が見えるようになるのに、何とかしてそれを伝えたいな。

今は、この気づきをどうやったら伝えられるだろう、と考えています。

当初このサイトを立ち上げたときには、自分が笑顔になることだけを望んでいましたが、思居のほか早くその状態になれたことと、当初と全く違う思考に私がなれたことで、それを伝えない手はないと思うようになりました。

また、新たな一歩が始まろうとしています。そんな予感、いや、確信!

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